震災後、義姉夫婦が我が家に入り浸るようになった→私『全員出て行けやボケ!』→恐ろしいことに…

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私は親が所有していた家で夫と暮らしてた
結婚してすぐ地震がおきて、
福島の義実家がダメになり、
義両親との同居が始まった

これが地獄の始まり

断っておくと義両親は最初普通の人たちだった

同居して一年半、義姉から里帰りの要請があった
義姉のそのときの住居は団地の五階で、
妊婦の義姉は階段を登ることが辛くなったらしい

義両親が良い人たちだから義姉も受け入れた
そしたら義姉夫が我が家に入り浸るようになった
そして、私が準備した夕飯を、
私がいない間にいじくりまわすようになった

私は祖父母に合わせた減塩の食事を
小さい頃から食べてきたので、とても薄味
カレーも甘口でちょうどいい

対して義姉夫は冷奴に醤油をひたひたになるまでかける人
義姉夫は私が作った夕飯に、塩コショウ醤油をかけまくった
そのうえ炒めおわった料理をさらにいためるので、
野菜はドロドロに
カレーなら辛いスパイスを勝手に足して
底が真っ黒に焦げ付くまで加熱
お味噌汁なら味噌や塩を足して沸騰させて煮出す
ミートソースにはタバスコをどっぷり入れて加熱して、
フライパンに焦げのコーティング

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味が濃い、とかじゃない
マズい、とかでもない
私には食べられないほどの凶器の味になっていた
私が作ったのに食べられない、
お腹すかせて帰ってきたのに白米しかない
たまに白米すらない

しかも当然のように義姉夫は後片付けなんかしなかった
夫たちは義姉夫が家に寄る前に
夕飯を済ますので被害は無かった
夫は私のためにコンビニでお弁当を調達してきたけど、
コンビニ弁当は味も濃く塩辛くておいしくないし、
カレーも麻婆豆腐も青椒肉絲も辛くて
ほとんど食べられなかった

だけど私の帰宅は毎日23時過ぎで、
弁当を買える店は近くにコンビニしかなかった
しかも売れ残りの弁当だから選びようもない

もちろん夫も義両親も目を光らせてくれていたし、
義姉夫にはこの家で飯を食うな、家によりつくなとも伝えた
しかし夫が繁忙期に入り、義夫が一週間の出張になり、
義母だけでは目が足りず、
掃除をしたり義姉の爪切りなど手伝っている間に
5日連続で夕飯を潰され、我慢の限界を超えた

食べ物の恨みは怖いって本当だと思う
全員に
「お前らがこのクソ野郎を引き込んだんだろうが!
全員出ていけやボケがぁぁぁ!」と怒鳴りつけていた
宥める義母や夫の声も耳に入らず、
義姉夫に台無しにされた料理を
鍋ごと投げつけまくっていた

無くなったらそこらへんにあった調味料を投げつけ、
まな板を投げつけていた時、夫に叩かれた。
そのまま救急搬送

入院の話を聞いた両親や姉たちが飛んできた
退院後は両親のところに連れて帰られた

夫にはメールで
「私はあの義姉夫とは無関係の他人なのに、
なぜ一ヶ月もの間、
私の家で私の作った料理を踏みにじられ続け、
私の食事を取り上げられなければならないのか」
と問うた

すると夫からは
「君の親戚でもあるんだぞ、君は他人じゃない」
と言われたので、他人になるように離婚届を送った

休日姉たちが私の家を見に行ったら、
なんと堂々と義姉も義姉夫も居座っていたらしい
もちろん夫は離婚には応じないし、
家からも出ていかなかった

それに激怒した父は、
私が入院して療養しているあいだに
家を更地にしてしまった
家のあった場所に行ったら、
本当に更地になっていて笑いしか出てこなかった

父からは記入済みの離婚届と
大金が振り込まれた通帳を渡された

ここまで義姉が家に転がり込んでからわずか半年の出来事
夢でも見てんのじゃないかといまだに思うけど、
鏡を見るたびあぁ夢じゃないんだなと思い知る

正直夕飯一つでなぜああもブチぎれたのか、
当時の私の思考もよくわならないが
なぜ義両親も夫も全力で追い出さなかったのか
理解に苦しむ

結局は私1人が我慢すれば済むと思われてたのかな

みなさんはどう思いましたか?

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